PDF Viewerがバッティングしているって特定できたのは、今の開発現場の同僚との話からヒントを得て気づきました。ヒントっていうか、ほぼ答えだったけど。とにかく、多謝。
Chrome PDF Viewerを無効にする
Chromeのアドレスバーに「about:plugins」と入力、Enterすると、プラグインの一覧画面が表示されるので、「Chrome PDF Viewer」を見つけて、「無効にする」をクリックすればOK。(キャプチャは、もう無効化しちゃってますけど)
商品名 | PRODUCT_NAME |
---|---|
単価 | PRICE |
数量 | NUM |
単位 | UNIT |
小計 | LINE_TOTAL |
SELECT
M.PRODUCT_NAME
,M.PRICE
,T.NUM
,T.UNIT AS UNIT
,M.PRICE * T.NUM AS LINE_TOTAL
FROM
T_ORDER T
,M_PRODUCT M
WHERE
T.ORDER_NUMBER = :ORDER_NUMBER
AND T.PRODUCT_ID = M.PRODUCT_ID
SELECT * FROM ~でいけてしまいます。
WEBサーバーOS | Windows Server | 2008 |
---|---|---|
WEBサーバー | IIS | 7.5 |
APフレームワーク | ASP.NET MVC | 3 |
帳票サーバーOS | Cent OS | 5.6 |
帳票サーバーJVM | Sun Java SE | 6 |
SVF | SVF for PDF | 9 |
IDE | Visual Studio | 2010 |
これは、私のひとり言のようなものである。と始めてくれており、とても丁寧に語り進められるので、読み手としても感覚的に読み進めてもいいのかな、という感触のもと、合間で具体的なプロダクトの例や学生のワークショップで教える時の話、俳句、写真家との対談などもあったりして、実のところスイスイと読んでしまうことが出来た。
デザインという抽象を語るときには、私と読者がひとつの像を共有しておかなければならないと思った。さもないと私の言葉はあまりに観念的で、しかも脈絡なくあちらこちらに飛び回るので、読者を混乱させてしまうと思ったからだ。
デザインの輪郭とは、まさにものの具体的な輪郭のことである。それは同時に、その周りの空気の輪郭でもあり、そのもののかたちに抜き取られた、空中に空いた穴の輪郭でもある。その輪郭を見いだすことが、デザインである。周りの空気とは環境のことで、それは人やものによって成っている。デザインの輪郭を見いだすということは、ものの輪郭をみるというよりはむしろ、環境の穴の輪郭を見いだすといった方がいいかもしれない。
デザインは、生き残るということが目的ではない。製品をできる限り長く生き続けさせるためにデザインをするということは、力の誇示ともとれる。その境遇における調和したものの立場が持続すれば、結果として長く生きることはある。他を生かして自ら朽ちることをよしとすることも、デザイン上の配慮である。デザインをつくり込むということは、そのものが生きながらえる安定した調和を邪魔する要因を取り除いていくということである。適合度(Fitness)を高めるということである。すべて、状況における調和である。
張りは、輪郭の力のことです。
幅七ミリ程の目地と同じような溝を、玄関の隅に壁から10センチ程離して壁と平行に引けば、傘立てになると思った。訪れた客は傘立てらしきものが見当たらないので、その溝に傘の先をあてて立てるだろう。私は傘立てをデザインし、客は結果的に傘を立てるという目的を達したことになる。しかし、そこにはよくあるような、円筒のような傘立てらしき物体の存在はないということだ。デザインは存在し、目的も達しているが、物体は消える。これは「行為に溶けるデザイン」ということだなと思った。
最初に見たときに、そのかたちの意味がよくわからないというのがいいと思う。何かあたりまえのことをしていて、それが立ち現れてきたときに、「あれ?」・・・「!」となるのがいい。もちろん本当にそのものが溶け込んでしまっているわけだから、その存在すら気づかずに通りすぎてもいい。意識の中心に置かれるものは、気づかれることを目的にしているわけではない。気づいた人はちょっと微笑み、気づかなかった人は行為が止まらず流れていくということでいい。
買うときと使うときでは、また違うんです。人はものを買うときの期待値としては、ふつうを求めていないんです、わざわざお金を払うからです。でも生活に戻ったときに急にふつうを期待するわけですよ。結果的に生活の中に個性的で、突出したものがあふれるんです。自分で選んだのに。「ふつうのものを探すのが大変だ」という声をよく聞くじゃないですか。ないんですよ、そういうものが。だから僕は、ふつうのものをつくりたいと思ってしまうんです。
小泉 僕は、レンズとものの間の空気を撮りたい。(中略)そのものを見ると、そればっかり撮りたいという気持ちになりがちですが、でも実際にはこの間(ま)があって、それがこのものをよくしていたりすることがあるんです。
深澤 見えてないんだけど、間が見えるといい。
山口 俳句でいわれたのは、いいたいことをいうのではなくて、いわないことをいうために17文字を使うんだっていうこと。17文字でいえることではない、17文字以外のことをいうために、17文字を使うんだといわれたことがあって。
デザインというのは、アイデアとエクスキューション(出来映え)の両方が揃ってできることです。
アイデアは寿司で、エクスキューションは醤油のようなものです。
寿司を食べていると思っても、醤油がないと料理として成立しない。
本当は醤油がデザイナーの力だということです。
寿司の味を引き立てても表には出ない。
礼儀がないとか、マナーが悪いとか、だらしないとかいうことは、
精神的なことよりも、関係性が見えない、
インタラクションの欠如だと思います。
相手が動いたらこう来るというような。自分がやったことに対して、周りの環境がどう変化するかということのセンサーがまったく働かない。
タバコを吸っていて、
後ろを歩く人は煙たいということがわからないことのように。
音のうるさいバイクのように。
インタラクションの欠如はインテリジェントに見えない。
センサーが弱いんです。
デザインも同じで、環境に対して、
この机はどうあればいいのかということは
経験から割り出されてくるものです。
それによって「このテクスチャーがいいよね」と決まっていく。
手をできるだけ加えないようにするということは、掃除したときに、きれいすぎるときに客をよぶということは失礼な話で、掃除してそれが少し落ち着いてから来ていただくとか、そこまで考えてないといけないみたいな、たまたまそこに水を打って、それが乾き始めた頃にお客がちょうどみえるとか。タイミングをケアすること自体が、人をもてなすということだから…。
自由であるということは、細胞しか鍛えていないということです。
何をするためにその筋肉を鍛えるかじゃなくて、
単に「鍛えている」ということです。
そうすれば、どんなゴールにでも行ける。