2010年5月19日水曜日

偉そうなことを言ってみる。最近思うこと。

マーケティング・・・などという高尚な概念を持ち出すまでもなく、人は、「便利だ」とか「使える」とか「役立つ」とか、その効果を感じれるものに対してお金を払ってくれる。
ところが、このあまりにも基本すぎることが、あまりにも見過ごされている、あるいは軽く見られているシーンにボクは多く出くわしてしまう。

「あまりコストをかけられないから、このぐらいで仕方ない」といったような企業本位(ユーザー不在)な目線が、いかに多いことか。そんな中途半端なものに、魅力を感じられるだろうか。自分がユーザーだとして、それに対価を払う気持ちになれるだろうか。

例えばコストという考え方について。
組織内を指して、やれコストセンターだとかプロフィットセンターだとか話に出てくるが、プロフィットセンターは唯一「顧客」であり、組織内のすべての部署はコストセンターである。企業は、利益を目的とはしないが、利益は存続のための必須条件。だから、その唯一のプロフィットセンターから対価を得られなければ、組織は成り立たない。当たり前だ。

その利益を生むための最短距離が、顧客が望む(望むであろう)ものを提供して買ってもらう、という、ものすごく当たり前なことなんだ。ところが現実に、そこに相当近いところにいながら、「まぁそれは理想として、実際には・・・」と目の前の厄介な問題や聞こえの良さそうな話に没頭して自転車操業的に先延ばしにし、「いつか余裕が出たら、そうしよう」とラットレースから抜け出せずに疲弊していくんだ。余裕が出ることなんて無いのにね。


ちょっと話は変わって、稲盛和夫氏の著書の中に、「(製品を)これ以上無理、と思えるところまで徹底的に磨き上げる」というような表現があって、これこそ業種に限らずメーカーが貫くべき姿勢だろうと常々思っている。

「磨く」というのがポイントで、磨く作業に終わりはない。磨くためには、どう磨かなければいけないかも考えなければならない。どう磨くかを考えるには、その製品を使ってくれるであろうユーザーのことを考え抜かなければいけない。まさに、言うは易し、行うは・・・の世界だけど。

コストを度外視していいとは当然思っていないけど、かけるべきコストはかけるべきだし、その上でそれに見合った価格・料金で提供できる組織が、企業として社会に貢献できている組織なんだと思う。つまり、存続理由がある組織。
これは、組織の全員が考えるべき事実であって、「会社(を通して触れている社会)は、自分の何に対して対価(つまり給料)を払ってくれているのだろう」と問いかけ続ける義務がある。と思う。


メーカーにおいては、社長以下、全組織が顧客を向いて、顧客のことを真剣に考え抜いた上で、開発部門は主に製品を開発して、マーケティング部門はマネタイズからコスト計算、販売経路とチャネル準備および運用まで含めて利益を出すための仕組みを作り、営業・サポート部門はしっかり販売しながら市場のリアルな声を組織にフィードバックする、というのが理想だと思う。ボクは大きな組織で働いたことがないので、これは小さな組織にしか当てはまらない(もしくはそれですら当てはまらない)、桃源郷的な理想論なのかもしれないけれど。


今日、ソフトバンク孫社長のプレゼンを見ていて、記者からの質問に対して「マネタイズ?そんなの後から考えればいいんです」と言い切ったグーグル的姿勢に感銘を受け、なんか知らないけど思い立ってこんなエントリーをしてみました。たまにはそんな日もあるさ。
完全に、とっ散らかった内容だけど、まぁそれはいつものことってことで。

2 件のコメント:

ms2 さんのコメント...

ラットレースはその通りなんだろうなと思う。そして一度入り込んでしまったら抜け出すのが大変になるもののよう。

創業する人たちは桃源郷を夢見て始めるんじゃないだろうか。状況が周囲から作られたのでなければ、「自身の理想を今の企業体で実現できないから創業しよう」と決意するのだと思う。きっと持っていいのさ桃源郷の夢。

夢とは人が行動する原動力の一つのはず。

Takamitsu Kashiwa さんのコメント...

>夢とは人が行動する原動力の一つのはず。

いいこと言うなぁ。
いや、まさしくその通り。だと思う。


ラットレースは、現場にいると抜け出すのは本当に大変なことなんだなと実感する。ある程度の規模になるほどに。

でもそこでしっかり舵取り出来るかどうかだよね(と、将来ラットレースど真ん中にいるかもしれない自分に言い聞かせる)。