2011年4月4日月曜日

【読書】キュレーションの時代

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
「夜、寝る前に、明日の仕事のやり方を考える。その時に、『あの人だったらどうするだろうか』『この人だったらどういう風に考えるだろうか』と、自分が尊敬している人や憧れている人の立場にたって、その人の頭になって考えてみる。そうやって、いろんな人の考え方をインストールしておくと、不測の事態にも対応できるようになる」

これは、かつて1年足らずの間だけボクの営業のお師匠さまだった人が教えてくれたことの中の1つで、かつ、一番よく覚えている話。当時のボクはこの話を聞いて「なるほど」を連発していた記憶がある。連発したくなるほどに、その考え方が当時の自分にビビっと突き刺さった。

なぜ突き刺さったのかと考えると、それはおそらく「『自分の考え』に対する自信の無さ」だったのかもしれない。
さらに言うと、そもそも『自分の考え』というものの捉え方が(いまだに)はっきりしていなくて、例えば「このことに対してどうすべきだと思うか?」と問われたときに、自分の知識や経験から答えを導き出して答えるわけだけど、そもそもその知識の源泉は、それまで受けてきた教育や、親や先輩、同僚から教わってきた「外から入ってきた考え」。
従って、基本的にはそれらのピースを自分なりに組み合わせて出てきたものと、自身のそれまでの経験を混ぜ合わせるわけだけど、果たしてそれが「自分の考え」なのかと言うと、「あの人とこの人とその人の話と、あの本とこの本の内容と、あとは、先人に比べればちっぽけ過ぎる自分自身の経験が少々」が正解なんじゃないか、と。

冒頭の言葉は、そんなゴチャゴチャした悩みを抱えたボクに、「なるほど、それでもいいのか」と肯定してくれた内容に思えたことが、とても突き刺さった原因だと思う。

と、前置きが長くなってしまったけど、そんなことをツラツラと日々考えているボクにとって、本書で丁寧に説明されている「視座にチェックインする」(第3章)という表現と切り取り方に、非常に共感した。
本文中でも紹介されているわかりやすい例で言うと、例えばNHKの「ブラタモリ」(P.196)。タモリさんが東京の街を歩きながら街の魅力を再発見する、という人気番組で、ボクも録画して観るほどに大好きなんだが、まさにあの番組は「タモリさんの視点を通して街を見る」ことによって、新たな出会いや発見を求める作りになっている。
視座とは、どのような位置と方角と価値観によってものごとを見るのかという、そのわくぐみのこと(P.195)で、視座を提供する人のことをキュレーターと言う。この場合、タモリさんがキュレーターだ。そして、キュレーターが行う「視座の提供」がキュレーション(P.210)。
もっと具体的にどういったことかを手っ取り早く知るなら、とりあえず著者である@sasakitoshinaoさんをフォローして、午前中のツイートをチェック。

旧態依然として完全に出遅れた日本の映画界や音楽業界の敗因が詳しく解説され、同じくWEBをいまだに理解できていない一部マスコミに対しストレートに批判をぶつけつつ、この新しいパラダイムについて非常に丁寧に説明されている。読み進めながら、確かに自身の最近の情報との接し方を振り返ってみても納得のいくことが多く、かつ、では自分たちがどうやって情報を発信していくか、ということを考えさせられる。

この本を読んで思い出すのは、『ストーリーテリングは、最も過小評価されているビジネススキルである。』というゲイリーの言葉。本書でも、物語の重要性がコンテンツとコンテキストという枠組みでしっかりと語られている。
(今、次に読み始めている本なんて、まさにそのまんま・・・ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)

全体的に、ちょっと芸術面(音楽や絵画等)の例が長々と続いて読むのが重たい部分もあったが、いずれもエピソードとしては面白く、おそらくこれも著者である佐々木さんが読者に対してセレンディピティ(偶然の幸福な出会い)を狙ったのかな、と思ったり。
自分に入ってくる雑多な情報をフィルタリングすることと、フィルタリングによる「タコツボ化」。この相反する状態を、キュレーションという機能がどう解消していくのか。「今」そして「これから」の情報との接し方について考えさせられる、
とても勉強になる本でした。

0 件のコメント: